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■白虎隊のお話6(白虎隊の出陣)

 白虎隊の少年たちは、8月22日の午後1時ごろ殿様にしたがって、城下町の北東にある 滝沢本陣につきました。
 やがて、先に戸の口にむかった一隊から本陣に 援けの兵をもとめる連絡がきました。本陣には白虎隊の少年たちのほかに もはや一兵も残っていませんでした。

 こうして、いよいよ少年たちは戦場に出発することになりました。殿様に別れを告げた少年たちは、感激に頬をそめ、澄みきった瞳をかがやかせながら、喜び勇んで滝沢峠を登っていきました。
 朝から雨もようの空は、とうとう本降りとなり、風もでてきて遠慮なく少年たちの顔にふきつけます。ぬかるみになやみながら、戸の口原の陣地についたのは、午後5時を過ぎていました。
 あたりは暗くなっていて、時おりはるか遠方から銃声がきこえてきます。陣地ではさかんに食事の炊き出しをやっていました。さっそく少年たちはこの大きな握りめしをわけてもらいました。
この握りめしが少年たちにとって、最後の晩餐となったのです。

  夜もふけ連絡に行った隊長の帰りを まっていましたが俄かに大砲がとどろき、はげしい銃声が きこえてきました。すでに夜は明けかかっていました。風もやわらぎ雨も小降りとなりましたが、深い朝霧がたちこめて、あたりは少しも見えません。しかしこのままじっとしてはいられませんでした。

 班隊頭・原田克吉(はらだかつきち)の指揮のもとに、銃声をたよりに苗代街道をまっすぐ進んで、道の南にある小高い丘に陣をとりました。ここで、原田は敵の様子をさぐるために、少年たち7名をつれて大胆にも戸の口村にでかけました。

 しばらくすると、流れる霧の間から猪苗代街道を会津城下へ進む人馬の姿が見えてきました。新政府軍です。少年たちは短い木の繁みに かくれて散開しました。唇を一文字にかみしめた白虎隊は銃の火ぶたをいっせいにきりました。新政府軍もはげしく応戦してきます。
 やがて次第に、数多い新政府軍の銃火におされてきました。前ばかりでなく左右からも弾丸がとんできます。傷ついて倒れるものもありました。
新政府軍は四方から取り囲んでしまおうとしているのです。


 
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