御薬園の庭園と建物

約1.7ヘクタールの敷地の中央に心字の池を有する池泉式回遊式大庭園。
心字の池の中央に亀島と楽寿亭、池の西側には御茶屋御殿、庭園北側には藩政時代の薬草栽培地跡を利用した薬用植物標本園があり、園内北西側には九代藩主松平容保の孫にあたる秩父宮妃勢津子殿下ゆかりの建物、重陽閣(ちょうようかく)が移築されています。

御茶屋御殿 Ochaya-goten

御薬園の御茶屋御殿は専ら藩主の休息のほか上席の役人や藩御用達頭取の元締などが、招かれ、お褒めの言葉や御酒を賜る時などに利用されました。
上ノ間・次ノ間・控ノ間と区別された部屋を持っています。建築年代は1696年代(元禄九年)で、ただし木割の細い数寄屋建築に加えて、会津が多雪地帯であることから破損の進行が早くも改造を加えています。
古材を転用した跡がみられますが、これは藩主が建築の際に新材ではなく、農家の解体材等を使用することによって領民に倹約の範を示したとの伝えがあります。
また歴代藩主は藩祖正之公の遺訓に従い庭園の経営にあたっても質素を旨としてきたといわれます。
控ノ間までが藩政時代のもので屋根は茅葺ですが、隣に続く十畳の松ノ間と二階は1882年(明治十五年)、容保公一家が住まれるために建てられたもので屋根は亜鉛葺になっています。
御茶屋御殿上ノ間は、藩主のお成りの部屋で庭園が一望され、正面の楽寿亭と東山の山並みの借景が美しく、ここに座れば殿様気分が味わえる格別な眺めです。
戊辰戦争では西軍傷病者の治療所に使用され、戦火をまぬがれ、当時のたたずまいを見ることができます。

楽寿亭 Rakujutei

心字の池の中島(亀島ともいう)に建てられた御亭で数寄屋風茅葺の平屋です。
楽寿亭は主として藩主や藩重役等の納涼や観光の場であり、茶席や密議等の場としても使われていたようです。
楽寿亭の命名は三代正容によるものでした。
「公は平素から政務は「仁」と「知」が大切であるといわれ、仁知の二字を座右の銘とされていました。時折り御薬園に入られて山水をご覧になっていたがそれは単に御保養のためだけでなく、自然の造化のなかにも仁者の「寿」と智者の「楽」のあることを感ぜられこの御亭に「楽寿亭」の名をつけられたといいます。

重陽閣 Chouyou-kaku

1928年(昭和三年)昭和天皇の弟宮秩父宮雍仁親王殿下と、アメリカ大使(当時)松平恒雄の長女松平節子姫とのご婚約が成立し、節子姫御一家の来若を歓迎するため、東山温泉新滝旅館で、三階建の別館を建てたものです。
1973年(昭和四八年) 勢津子妃殿下御一家が、泊まられた新滝旅館別館が御薬園に移築されることになりました。
建物の名前は秩父宮妃勢津子殿下により、「重陽閣」と命名されました。妃殿下のお誕生日が九月九日の重陽の節句であったことからその名をとられたということです。

ご成婚に際し、貞明皇后陛下の名「節子」の同字を避け、皇室ゆかりの伊勢と会津松平家ゆかりの会津から一字ずつ取り、同音異字の勢津子に改めました。

建物面積 150平方メートル
建築延面積 265.7平方メートル
木造二階建(本来は三階建て)とする。
昭和48年2月28日 地鎮祭
昭和48年3月14日 上棟式
昭和四十八年八月四日  落成式

心字の池 Shinji-no-ike

三代会津藩主 松平正容の時代、1696年(元禄9年)大名庭園造りで名高い小堀遠州の流れを汲む園匠目黒浄定と普請奉行により、鶴が清水を残しつつ、園内中央に大きな池を配し、借景という技法を取り入れた池泉式回遊庭園に大改修されました。池の水源は、猪苗代湖(戸の口堰)と東山の湯川の二系統から引き入れています。

薬用植物標本園 Yakuyo syokubutsu hyouhonen

会津藩二代目藩主保科正経が領民を疫病から救うためにつくった薬草園は三代藩主松平正容が朝鮮人参を試植し、その栽培を民間に広く奨励したことから、御薬園とよばれるようになりました。
藩主の意思は今でも大切にされ、現在では約400種類の薬木・薬草を見ることが出来ます。

園内マップ

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国指定名勝 会津松平氏庭園 御薬園
開園時間 8:30~17:00(入園締め切りは16:30)
定休日/休業日 無休
入園料金
<個人> 大人330円 高校生270円 小中学生160円
<団体 30名以上> 大人270円 高校生220円 小中学生120円
※障がい者の方は障がい者手帳ご提示でご本人無料となります。
駐車場 普通車40台(無料)
〒965-0804 福島県会津若松市花春町8-1
TEL: 0242-27-2472
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