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鶴ヶ城公園内の風景(本丸・二の丸)

本 丸


本丸はお城の中心で、鉄門と裏門の二つの門、干飯櫓・月見櫓・茶壺櫓の三つの櫓、そして走り長屋で厳重に守られていました。
かつては大書院、小書院、藩主の住居である奥御殿があり、沢山の建物が並んでいましたが、現在は南東の茶室麟閣だけが昔の姿を残しています。
天守閣があるのも本丸です。


■月見櫓跡
本丸内にある櫓のひとつ。本丸内の東南に位置していることから、櫓にかかる月影は絶好の眺めであり、この名がつきました。


■荒城の月碑
土井晩翠は旧制二校時代、取り壊された鶴ヶ城跡を訪れ、名曲「荒城の月」の作詞のきっかけを得たといいます。この鶴ヶ城が「荒城の月」のモデルであるとのことは、昭和21年会津若松市内で行われた講演の席で晩翠氏、自らが語り市民を驚かせました。



天守閣から見た本丸

茶室麟閣(りんかく)
千家ゆかりのお茶室「麟閣」
天正19年(1591)千利休は豊臣秀吉の怒りを買い死を命じられました。秀吉の怒りが千家一族に及び利休の茶道が絶えるのを惜しんだ、時の鶴ヶ城主「蒲生氏郷」は、利休の子少庵(しょうあん)を会津にかくまい、千家の再興を願いでたのです。この恩義に報い少庵が建てたのがこの「麟閣」です。その結果、少庵は許され、京都へ帰り千家を再興することができたのです。
御三階跡
鶴ヶ城内には石垣しか残されていませんが、幕末まで「御三階」と呼ばれる建物がありました。その後、御三階は取り壊しの難を逃れ、現在、市内の阿弥陀寺に移築保存されています。


二の丸


二の丸は本丸の東側にあたり、廊下橋で本丸とつながっています。二の丸は三の丸(現在の県立博物館周辺)をつなぎ、葦名時代の大手門であった廊下橋口を守る大切な位置を占めていました。
現在はテニスコートがあります。



二の丸から見た廊下橋と天守閣

廊下橋
廊下橋は本丸から二の丸へ通じる朱塗りの橋で、加藤明成の大改修まではここが大手口でした。葦名時代には屋根のついた廊下造りだったので、廊下橋と呼ばれました。
この橋の両側の石垣は長さが130メートル、高さ20メートルを超え、東日本では最大規模で、「忍者落とし」と呼ばれています



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